サイパン島の観光の変遷について様々な情報を紹介します。
サイパン島は、日本から約3時間という短時間で気軽に行けることから、かつては、この島に訪れる観光客の大半は日本人でした。そのため、日本人観光客を対象とした、マリンレジャーやスポーツ産業がサイパン島の主な観光産業でした。
しかし、最近では日本からの観光客が減少傾向にあります。原因としてはJALの休便が影響しているといわれます。日本人観光客の減少によって急増しているのが、韓国や中華人民共和国からの観光客です。そのほか、ロシア人からの観光客もみかけるようになっています。合衆国本土よりも入国審査が緩やかであることが影響しているのでしょう。
かつての日本人観光客の隆盛時代を反映し、ホテルや免税店、おみやげ物屋さんでは、日本語が通じるところが多いです。しかしそれらの多く、特に市中の商店や居酒屋、食堂などは、そのほとんどが韓国人の経営です。韓国本土からは、サイパン島への留学が盛んという面もあります。英語ができると将来有利である、ということから母親づれで子どもたちが来て、小学校や中学校へ入学している家族もあるのです。韓国の教育熱心な国民性を反映しているのでしょう。今後は、この傾向が中華人民共和国へも広がるかもしれません。
また、これはあまり知られていないサイパン島の魅力のひとつなのですが、サイパン島は、関税や消費税などの間接税がかからないのです。そのため、島の全体で、免税で買い物ができるのです。
貧困、内戦、飢餓、難民、そして地雷・・・。カンボジアという言葉が喚起するイメージは、暗いものばかりかもしれません。ようやく戦火が収まったとはいえ、20年間近くこの国を舞台に繰り広げられていた戦争は、今もなお、あまりも痛々しい傷跡を残しています。市場経済の導入は、人びとに格差をもたらしました。持つものと持たないものの違いは、この国においては私たちの想像を絶するほどです。地雷の撤去が必死で進められているにもかかわらず、今もなお、ジャングルには数多くの地雷が残ったままです。その犠牲者の多くは、子どもたちです。地雷を知らせる文字を読めないために、危険区域に入ってしまうからです。祖国を離れた・・・離れざるを得なかった・・・人びとは数知れません。
これらはすべて現実です。しかし、カンボジアは今、元気を取り戻しつつあります。悲しいことですが、カンボジアではポル・ポト時代に男たちがたくさん殺されました。そのため現在のカンボジアには、女性と子どもたちの姿ばかりです。それでも、働き手を失ったこの国で女性たちはたくましく一家を支え、国を支えています。路地には、子どもたちの屈託のない笑顔が溢れています。
稲作を中心とした農業がこの国の産業の中心です。5月の雨季の開始と共に、田植えが始まります。11月頃には、黄金の稲穂が頭を垂れ、収穫を迎えます。雨季といっても、猛烈なスコールが1時間ほど襲ってくる程度です!
今、まさに息を吹き返そうとしているこの時期のカンボジアを訪れ、その活力にさらされることで、ひょっとしたら私たちが忘れてしまっていたものを得られるかもしれません。
スノボの歴史をさかのぼると、起源は1枚の板(笑)。1800年代には既にこの一枚板で滑っていたと言われます。
スノボのスポーツとしての歴史は、これよりずっと後。一般には1965年にアメリカで生まれた「スナーファー」と呼ばれる雪上サーフィンの玩具などがスノボの起源とされています。これは紐の付いた非常に小さな合板で、使い方も、単に斜面を真っ直ぐに滑り降りるだけ。到底スポーツと呼べるものではありませんでした。
スノボが本格的に発展し始めたのは70年代に入ってから。まずは板の面積が大きくなり、この板で滑走することを「スノーサーフィン」と呼ぶようになりました。そして80年代に至り、ゲレンデで滑ることができる商品が開発され、大量生産されるようになったのです――以上がスノボの大まかな歴史です。
スノボは歴史こそ新しいものの、今ではオリンピック種目にもなり、多くの愛好者を獲得しています。スノボはこのように、今後の発展が期待されるスポーツの一つなのです。
五月病は「スチューデント・アパシー」とも言われます。
これは、1961年、ハーバード大学の精神科医P・A・ウォルターズの報告のよるもので、主に大学生に見られる慢性的な無気力状態を指します。
男子に顕著に見られる青年期特有の症状で、特に病理的なものがなく、無気力・無関心・目的の喪失感を伴います。
ちなみに「アパシー」とは、普通なら感情が動かされることに反応を示さない状態を意味します。
それゆえに、スチューデント・アパシーは五月病だけを指すだけでなく、無気力な状態の学生を指すことばと捉えた方が良いでしょう。
学校へ行かない、単位が取れない、進路についての興味がないなどの症状が現れます。
受験戦争を勝ち抜いてからの虚脱感などから無気力に陥るのは、心身ともに疲れた状態からの自己防衛とも言えるでしょう。
学業には無関心でも、趣味やアルバイトには熱心であるケースもあります。
現代は、学生だけでなく、このような「アパシー」の状態に陥ることをまとめて「アパシー・シンドローム(無気力症候群)」とも呼びます。
希望の会社に入ったものの、入社後に無気力感に悩まされる状態は「サラリーマン・アパシー」と言われます。
真面目で親など周囲の人の声に答えようと努力してきた人に多いようです。
アパシー・シンドロームにならないためには、自分で目標を持ち、行動する自発的な力が必要と言えます。
また、目先の成功や失敗にとらわれることなく、将来に向けての視点をしっかりと持つ力を養うのが必要となります。
お笑いの歴史を振り返れば、古代までさかのぼってしまうほどお笑いは伝統的な文化だといっても過言ではありません。内容の趣旨は違えど昔から現代まで、もはやなくてはならない存在といえます。
お笑いの傾向は時代によって異なり、能や狂言ブームから落語や寄席、漫才ブームへとお笑いは常に変化を遂げています。コント漫才で絶大なる支持をされていたコント55号やドリフターズを先駆けに、1980年代に入ると、フジテレビで放送されていた『THE MANZAI』という番組をきっかけに漫才ブームが到来します。
漫才ブームで爆発的な人気を得ていた代表的なコンビは、ツービート、紳助竜介、明石家さんま・小禄、横山やすし・西川きよし、宮川大助・花子、西川のりお・上方よしお、オール阪神巨人、B&B、ザ・ぼんち、太平サブロー・シロー、今いくよ・くるよなどです。
漫才ブームでは、コント漫才よりもしゃべくり漫才が流行しました。リズムやテンポが重要なキーワードといえるでしょう。
漫才ブームの象徴的番組、日本テレビの『お笑いスター誕生!!』という番組では名の通り、多くのお笑いスターが誕生しました。また、ビートたけしや明石家さんまが出演した『おれたちひょうきん族』も流行しました。漫才ブームは現代のお笑い業界を活性化させる大きなムーブメントだったといっても過言ではないでしょう。